こんにちは。
5歳男の子のママ、現在第二子妊娠中の
「はぴにこ」と申します。
ハッピーニコニコでいたいので「はぴにこ」です。
よろしくお願いします♪
さて、このブログですが、
切迫早産で入院となってしまい、ネットで同じ境遇の方のブログを読み漁り心の糧にしていたので、私も自分の状況を記録していきたいと思ったのがブログを始めようと思ったきっかけです。
安定期最後に温泉旅行へ
少し前のこと、
妊娠7ヶ月(27週)の当時、安定期が終わるしベビーが産まれたらしばらく遠出はできないので、安定期ギリギリ最後に5歳息子と旅行したい!と比較的近場の温泉に行きました。
ショッピングモールで買い物したり、カフェに行ったり、温泉に入ったり(息子は夫と男湯)夕食のバイキングにはしゃいだり楽しく満喫していました。
息子の楽しんでいる顔を見て、温泉旅行に来られてよかったと心底思いました。
しかし、息子を寝かしつけてからの夜更かしタイムも楽しみ、もう24時になるし寝よう!と布団に入るとお腹が張る。3分ごとに張る…。
今思えばおそらく元々お腹が張りやすくて、ネットでよく見る病院受診目安の「1時間に3回以上張る」なんて日常的によくあることでした。
だから、今回も3分ごとに張ってるけど寝れば治まるかな~くらいに考えていましたが、1時間経っても治まらない。
もし病院に行くとしたら夫は酒を飲んだから運転はできないので救急車だろう。でも旅館から地元の病院までは遠い。近場の産科は受診できるのか?そもそも激痛じゃないし受診するレベルなの?でも陣痛に繋がったらどうしよう、とネットで検索しながらぐるぐる考えてました。
深夜1時、イビキをかいてる夫を揺さぶり起こし、お腹が張ることと、様子を見るけど最悪救急車を呼ぶかもしれないことを伝えました。
「分かった」と寝ぼけた返事はありましたが私の不安と焦りなんて微塵も伝わってなかったと思います。
そこから朝方4時くらいまでお腹が張ったり、うつらうつら寝たりという感じでした。
そして朝6時には着替えも荷物をまとめるのも済ませ、次の日は観光地に行こうという話になっていましたが「何かあったら怖いから帰りたい」と朝食を取った後すぐ出発し、午前中に帰宅。
比較的お腹の張りは落ち着いていたけど、病院を受診した方がいいか迷っていると、またお腹の張りが3分おきくらいになってきたので休日でしたが病院に電話して受診することにしました。
着の身着のまま即入院
夫が運転し、息子と3人で病院へ。
2人には車で待っててもらい、受診して子宮頚管を測ると15mmになっていました。
※妊娠中期だと子宮頚管は約35~40mmが平均なんだとか(病院によって数値は多少バラバラ?)
先生から「36週まで2ヶ月くらい入院した方がいいかもしれません。」と言われ、2ヶ月というあまりに長い期間にビックリし「した方がいいってことは入院しなくてもいい選択肢があるってことですか?」と聞いたら、「入院せずに何かあっても自己責任ですけどね」との辛辣すぎるかつ真っ当な回答をいただきました。
だったら「今すぐ入院が必要です」ってストレートに言ってほしかったですよ。息子がいるし家で過ごせることに期待するじゃん!
そして家に一旦帰ることも、車にいる夫と息子にも会えず、そのまま即入院のための準備がバタバタと始まり、コロナの検査やお腹にモニターを付けたりしている合間に夫に入院の旨を電話すると、何も知らない息子の「ママどうした~?」という声が聞こえて、言葉が詰まり涙が止まりませんでした。
夫は「大丈夫だ!全てはうまくいく!大丈夫だ!」と言ってくれて、それに「うん」と答えるのが精一杯でした。
それからお腹の張りを抑える点滴をしたのですが、私の血管はすごく細くて見えにくいらしく、その上血管に刺すことができても液が漏れて腕が腫れたりと、2日間で6回も刺されてめちゃくちゃ心が折れそうでした。
点滴はマグネシウムで、筋肉を弛めてお腹の張りを抑える効果がある反面、副作用としては体がだるくなったり火照ったり、血管痛があるとのこと。
私は血管痛の副作用が出て、点滴している腕が痛かったですが冷やしたり優しくさすったり、2日ほどすると治まりました。
だんだん気持ちの整理がついて
2ヶ月の入院と言われた時は息子と離れることがショックだったけど、まだ妊娠27週で早産になってしまったら、生存率、体の機能も完成していないこと、様々な合併症を引き起こす可能性、それを考えると1日でも長くお腹の中に赤ちゃんをいさせてあげなくては、と強く思うようになりました。
かけがえのない幸せに気付いた
それと同時に、今まで慌ただしく過ぎていた毎日はかけがえのない幸せに溢れていたことに気付かされました。
みんなで囲む食卓、何気ない会話、夫と息子と笑い合うこと、一緒に眠ること、息子の話してくれること、ふざける姿。
仕事に家事に育児に、自分の時間がほしくて必死だったけど、私は家族が一番大切だと再認識。毎日の忙しさであんまり息子に向き合えてなかったことに反省。
入院初日の夜、病院食を1人で食べながら寂しくて泣きました。
そして私の入院生活が始まりました。
つづく。